霊峰と称えられる富士のお山は、約10万年前から古富士火山の活動が始まり、長い間の火山活動を経て、約1万年前頃に現在に近い形になりました。広いすそ野から立ち上がる独立峰は、世界でも類を見ない崇高で優美な姿であり、人々に畏怖の念と感動を与えてきました。
平安時代には活発に火山活動を行い、最も近いものでは約300年前の宝永の大噴火(1707)があり、千葉や茨城の方まで広範囲にわたる被害がありました。また雪解け水は、「雪代(ゆきしろ)」と呼ばれる災害をもたらし、麓に暮らす人々に脅威を与えていたため、富士は荒ぶる山として怖れられていました。
しかし火山活動の結果、広大な富士山原始林や、質量ともに世界一と言われる溶岩洞穴群や溶岩樹型群が形成され、また富士山の伏流水は麓で湧き水となり、河川や湖を作り、その中で多様な動植物を育み、大きな恵みをもたらしています。
畏怖の念、「恐れ」には、神々しい美しさや尊さなど人知を超えたものに対する敬意も含まれ、転じて強い憧れともなります。富士山にもこのような際立った自然的な特徴があったからこそ、古くから信仰の対象となり「霊峰」と称えられ、自然崇拝・山岳信仰に直接関連する信仰の山、その代表的な山となったのです。
富士山は原始古代から畏敬の念をもって信仰の対象とされてきましたが、浅間神社は、噴火を鎮めるために平安前期に祀られ、富士山周辺に集落が形成されるにつれ、産土神として各村に祀られるようになりました。
平安中期には、仏教の影響を受けつつ修験道が盛んになりました。平安末期頃に富士山の火山活動が収まってきたこともあり、多くの修験者が富士山に登るようになりました。この頃から「遥拝」する信仰から山に登り修行する「登拝」の信仰が増えてきました。
室町時代には、一般の人々の信仰登山が行われるようになり、戦国時代、長谷川角行の出現により富士講が興り、江戸を中心に爆発的に流行しました。
富士講が盛んになると日本各地に浅間神社が祀られるようになり、現在では、全国で約1300社にのぼると言われています。
全国各地の「富士」のつく地名(富士見台、富士見町など)や、関東に多くみられる「富士塚」は遥かに富士を拝む(遥拝)場所でした。
晴れた日にだけ望める小さな富士の姿に喜ぶ様は現代でも見られますし、あそこへ行ってみたい、近くで見てみたい、という思いが人々の足を運ばせたのでしょう。 近年増え続ける観光的な登山においても「登拝」に思いを馳せてみると、自然の中で生きようとする人々にとっての「信仰の山」を体感できるかもしれません。
富士山は神霊の鎮まります神体山でありながら、一般の登山が許されている稀有な山でもあります。 富士山の広大な土地内で行われる娯楽は、登山やキャンプ、山菜採り、モータースポーツまで多岐に亘っています。登山道だけでなく、樹海の散策路、別荘地や森の奥深くまでも、様々なものが不法投棄されていることは周辺地域では長い間の問題で、多くの団体による清掃活動が行われています。
日本一の富士山を世界に誇れる「美しい山」にする為に、一人一人のご協力をお願いいたします。
気軽に訪れる方の多い富士山ですが、やはり日本最高峰、3000m超の山には多くの危険が伴います。
本来は、麓から、登山道起点に鎮座する神社にお参り頂いて、登山を開始することが望ましい形です。神の山である富士山に、その神域に「これから入らせて頂きます」というご挨拶と、道中の安全を祈願し、心身を清浄にしてご登拝ください。