今年も鎮火祭を無事斎行することが出来ました。 今年はコロナ禍前の賑わいを取り戻したような大変な賑わいで、大松明の本数に至っては過去最高の115本(※)となりました。大神様も御喜びのことと思われます。 関係各位、地域の皆様のご理解ご協力に感謝申し上げます。 祭典の様子は下記写真の他が当神社インスタグラムにございますので、よろしければご覧くださいませ。 https://www.instagram.com/kitaguchi.hongu.official/ インスタグラムの写真は有限会社クレセントエルデザイン(富士山ドローンベース - FUJISAN DRONE BASE (fujisan-drone.jp))にご協力をいただいております。
※境内参道にて焚き上げる大松明5本を含む
【吉田の火祭りとは】 北口本宮冨士浅間神社の摂社である諏訪神社の例大祭で毎年8月26・27日の二日間に渡り斎行される。 その歴史は古く、元亀三年(西暦1572年)の町割り帳面に「御幸路(御神輿が通るための道)」の記載があることから少なくとも約450年以上前から行われていたことがわかっている。 祭典の特徴としては、26日の夜に高さ約3mの大松明およそ80本前後を上吉田の主たる通りである本町通りに並べ焚き上げることと、神殿型の一般的な神輿「明神神輿(お明神さん)」に加え富士山を象った「御影神輿(お山さん)」が渡御をすること、の2点が主な特徴。 御影神輿は16世紀末の史料には既に「御冨士の山にかさり(飾り)」した神輿、として記載されており、少なくとも約400年以上前から存在していることがわかっている。 「何故火を焚くのか」については諸説あり、当地に伝わる「かつて、追手から逃れようとする諏訪の神を守るため、吉田の民は大量の松明を焚くことでこちらが大軍勢であると追手に見せかけ、これにより諏訪の神は無事に逃れることができた」という伝承に基づくものという説、木花咲耶姫命の火中出産の神話に基づくものという説、富士山の噴火を抑えるためという説がある。 鎮火祭が終わると富士吉田は急に秋めいてくることや、学生の夏休みの終わり頃にあたることなどがあり、過ぎ去る夏への寂寥も熱狂の中に僅かに感じられる。それ故か「お山じまいを告げる祭」だと勘違いされることがあるが、お山じまいの祭りは「閉山祭」として毎年9月10日に行っているため、鎮火祭はお山じまいを告げる祭ではない。
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26日、神輿境内出発 |
御旅所に到着する御影神輿 |
大松明焚き上げ |
27日、氏子中を練り歩く神輿 |
金鳥居を通過する御影神輿 |
神社に帰還し高天原を周回する御影神輿 |
同、明神神輿 |
見事、務めを果たした世話人の方々 |